いくつもの災害に見舞われ、多くの被害を受けながらも、その都度乗り越えてきた北海道。
その記憶は、月日の経過と共に風化させてしまうのではなく、来るべき自然の脅威への備えの大切さを教えてくれます。
戦後の北海道を襲った地震・津波の被害、北海道胆振東部地震の記憶について記し、未来を担う次の世代にも伝われば幸いです。
北海道で過去の災害から、学ぶこと
災害の記憶を振り返り、日々の備えを
北海道・札幌では、その歴史の中でいくつもの災害に見舞われ、多くの被害を受けながらも、その都度乗り越えてきました。
その経験は、いつ再び起きるか分からない災害への備えや教訓の糧となりながらも、月日が経つと記憶は次第に薄れ、来るべき自然の脅威への警戒心も緩みがちになってしまいます。
若い世代には、そもそも生まれる前の出来事で、伝え聞く機会も得られぬまま知らないことも多いかもしれません。
過去に起きた「地震・津波」の歴史を振り返ることで、備えの気持ちを改めると共に、未来を担う次の世代に伝われば幸いです。
北海道・札幌の災害史「地震・津波」編
日本やその周辺では、人間が揺れを感じることができる有感地震(震度1以上)が年間に1,000~2,000回程度あり、私達が住む北海道だけでも年間で200回前後もの有感地震があるとされています。
北海道で発生/被害が大きかった地震一覧
以下に、戦後の北海道で発生、もしくは甚大な被害があった地震を一覧にまとめています。
年 月 | 名称 | マグニチュード 最大震度 | 震源地 | 北海道における被害状況 |
1952年3月4日 (昭和27年) | 十勝沖地震 | Mw 8.2 最大震度6 | 十勝沖 | 死者:28人 / 行方不明:5人 / 負傷者:287人 家屋全壊:815棟 / 半壊:1,324棟 |
1968年5月16日 (昭和43年) | 三陸沖北部地震 | Mw 8.2 最大震度5 | 三陸沖 | 死者:2人 / 負傷者:132人 家屋全壊:17棟 / 半壊:49棟 |
1982年3月21日 (昭和57年) | 浦河沖地震 | Mw 6.9 最大震度6 | 浦河沖 | 負傷者:167人 家屋全壊:13棟 / 半壊:28棟 |
1993年1月15日 (平成5年) | 釧路沖地震 | M 7.5 最大震度6 | 釧路沖 | 死者:2人 / 負傷者:966人 家屋全壊:53棟 / 半壊:254棟 |
1993年7月12日 (平成5年) | 北海道南西沖地震 | Mw 7.7 – 7.8 最大震度6 | 奥尻町北方沖 | 死者:201人 / 行方不明:28人 / 負傷者:323人 家屋全壊:601棟 / 半壊:408棟 |
1994年10月4日 (平成6年) | 北海道東方沖地震 | Mw8.3 最大震度6 | 東方沖 | 負傷者:436人 家屋全壊:61棟 / 半壊:348棟 |
2003年9月26日 (平成15年) | 十勝沖地震 | Mw8.0 最大震度6弱 | 十勝沖 | 死者:1人 / 行方不明:1人 / 負傷者:847人 家屋全壊:116棟 / 半壊:368棟 |
2011年3月11日 (平成23年) | 東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災) | Mw 9.0 最大震度7(道内3) | 三陸沖 | 死者:1人 / 負傷者:3人 家屋半壊:4棟(以上、道内) |
2018年9月6日 (平成30年) | 北海道胆振東部地震 | M6.6 最大震度7 | 胆振地方中東部 | 死者:43人 / 負傷者:782人 家屋全壊:469棟 / 半壊:1,660棟 |
繰り返される、北海道東部の地震活動
北海道で起きる地震の中には、甚大な被害を及ぼす繰り返し発生する地震があります。
それは北海道東部の地震で、十勝沖・釧路沖・根室半島沖・北海道東方沖が震源となる「太平洋プレート」と「陸のプレート」の境界で発生したり、沈み込んだ海洋プレート内で発生するものです。
1993年1月の釧路沖地震と1994年10の北海道東方沖地震は、この海洋プレート内地震です。
海洋プレート内地震ではしばしば津波を伴い、北海道東方沖地震では根室市花咲港で173cmの津波を観測。幸い地震発生直後に津波警報・注意報が発表され被害は少なかったものの、北方領土では、死者・行方不明者合わせて11人、1万人近くがロシアへの移住を余儀なくされる被害がありました。
1952年3月、2003年9月の十勝沖地震ではどちらも津波を伴い、家屋が大多数流出したり波でさらわれた方が亡くなる被害が出ています。
30mの大津波、北海道南西沖地震
日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模、北海道での人的被害も最大のものとなった1993年7月の北海道南西沖地震。
震源に近かった奥尻島を中心に、渡島半島西部が強い揺れと大津波に襲われました。
津波は奥尻島全体の沿岸部で3〜10m、最大で30mにも達し、津波による死者は201人、行方不明者は28人と多くの犠牲者が出てしまいました。
南部の集落・青苗地区では大規模な津波火災により189棟が焼損し、壊滅的な被害となりました。
北海道胆振東部地震の記憶
2018年9月6日 北海道を襲った未曾有の災害
2018年9月6日の未明(3時07分)、胆振地方中東部を震源とする地震が発生し、道内の広い範囲で大きな揺れに見舞われました。
厚真町鹿沼では北海道で初めて震度7を記録し、札幌市内でも震度6強の立っていることが困難になるほどの強い揺れがありました。
突然の強い揺れ、直後の停電
未明に発生した「北海道胆振東部地震」
突然の強い揺れで目を覚ますも、寝床で揺れに身を任せることしかできません。
枕元ではスマートホンから緊急地震速報のサイレンがけたたましく鳴り、家はギシギシと音を立てて揺れ、いろんなことが同時に、そして一瞬の出来事です。
やがて揺れが収まるも、すぐに停電が発生しました。この後、丸2日間に渡る長い停電です。
この時点では、北海道全域の大規模停電「ブラックアウト」であるとは知る由もありません。
夜明け、次第にわかる被害状況に愕然
電気が復旧しないまま夜が明け、各地の被害状況が徐々に明らかになっていきます。
札幌市では液状化現象により、家屋は大きく傾き、道路が陥没・隆起し大きく波打ち車が通れないこと、そして震源地に近い厚真町では、大規模な土砂崩れが発生し、多くの方との連絡が取れず安否不明となっていること…
想像を超える被害に愕然とします。
地震の発生日、札幌市内の地下鉄・JR・バス・市電など全ての交通機関が始発から運休になりました。
電気のない日、不安と共に過ごす
電気は一向に復旧する気配がありません。
この事態に、多くの方が生活においていかに電気が大切であるかを気付かされました。
地震発生直後、6日の午前4時に北海道のほぼ全世帯にあたる約295万戸が停電、翌7日の0時でも約8割の約229万戸が停電のままでした。復旧したのは地震発生から丸2日たった8日の午前2時、ようやく9割の世帯で電力が復旧しました。
電力の復旧で日常を取り戻し始めた北海道。被災地では捜索が続く…
電力が復旧した8日以降、北海道は少しずつ日常を取り戻していきました。
この日までにJRの主要な区間では本数を減らして運転を再開、札幌市の地下鉄も再開されました。中心部の商業施設も時間を短縮しての営業が再開し始めました。
しかし、甚大な被害があった被災地では避難所での生活を余儀なくされる方も依然多く、安否不明者の捜索が続いていました。厚真町の土砂崩れで安否不明者の全員が発見(36名全員の死亡が確認)されたのは10日のこと。
土砂災害によって飲み込まれた橋・道路などの災害復旧工事は、令和に入った現在も続いています。
いま知っておくべき「コト」、備えておくべき「モノ」とは?
2018年の北海道胆振東部地震では、多くの人が日頃の備えの甘さを実感しました。
いま改めて、災害に対する備えを考えてみませんか?
冬に災害が起きたら…
この地震は9月の出来事でしたので、北海道でもまだ少し暖かさの残る時期でした。
しかし、同様の被害が真冬だったとしたら…
停電により、オール電化の家庭ではお湯が沸かせなくなっただけでなく、集合住宅ではポンプであげることができず水も出なくなってしまいました。
まして、冬ともなれば暖房に電気を使用する家庭も多いですよね。
北海道の災害では、寒さへの対策も怠ることはできません。