日本で一番人口が少ない市は、北海道の歌志内市。

夕張山地北端の山間にあるこの町はかつて炭鉱で栄え、ピーク時に4万6千人を数えた人口は、現在はおよそ3千人まで減少しています。

人口3千人、日本一小さな市・歌志内市

歌志内市ってどんな町?

■雲海に沈む歌志内の街並み

歌志内(うたしない)市は、夕張山地の北端の山間にある町。

石狩川の支流のひとつのペンケ歌志内(ペンケウタシュナイ)川がつくる河谷に沿って町が広がり、周囲は緑豊かな山々に囲まれています。

町のシンボルにもなっている神威(かもい)岳の山頂は、幻想的な雲海を見ることができる絶景スポットとして知られています。

減少が進む歌志内市の人口、今後の推移は?

■歌志内市の人口推移(住民基本台帳より)

歌志内市の人口は全国の市で最も少ない3,008人

かつては石炭で栄え、1948年(昭和23年)のピーク時の人口は4万6千人を数えましたが、相次ぐ炭鉱の閉山によって過疎化が進み、1981年(昭和56年)に1万人を割りました。

その後も人口減少は進み、2007年(平成19年)には5千人を割り、2021年(令和3年)中には人口3千人をも下回ることがほぼ確実な状況です。

※2021年1月末現在

なぜ市のまま?町・村への降格はある?

人口減少が進む歌志内市は、市から町・村へ降格することはあるのでしょうか?

地方自治体が「市」や「町」になるためにはいくつかの要件がありますが、人口は「市」で5万人以上※1、町で5千人以上※2とされています。

人口が3千人の歌志内市は、「市」としてはもちろん「町」の人口要件をも下回っていますが、実際には「村」に降格(移行)していません。

これは、村⇆町⇆市の移行は義務ではないため。

市から町・村へ移行すると地方交付税の交付額が減額されたり、様々な事務手続きが発生する、イメージダウンになるなどのデメリットがあり、同様に人口要件が下回っている全国の市町村でもこれまでに降格(移行)した例はありません。

近隣の市町との合併はある?

歌志内市では、かつて同様に人口減少が進む近隣市町との合併に向けた話し合いが持たれたこともありました。

2005年(平成17年)に新たに施行された合併特例法を踏まえ北海道によって策定された“北海道市町村合併推進構想”では、砂川市・歌志内市・奈井江町・上砂川町・浦臼町による合併構想が示され、翌年には2市3町地域づくり懇談会が設立されました。

ここでは新しいひとつの市となった場合の財政シミュレーションなどが行われましたが、合併に向けた十分な財政支援を得られなかったため、この懇談会は解散となりました。

各市町は今後も連携を強化していくことを確認したものの、その後は合併に向けた具体的な進展はありません。

歌志内と炭鉱の歴史

日本の経済成長と近代化を支えた北海道の石炭産業。

歌志内を含む空知炭田は国内最大の産炭地として最盛期にはおよそ110もの炭鉱があり、市内にも多くの炭鉱がありました。

1890年(明治23年)に最初の炭鉱・北海道炭礦鉄道空知採炭所(空知炭鉱)が開坑し、歌志内の炭鉱の歴史が始まります。

石炭の活況とともに、歌志内の人口は大正時代に2万人を突破し、空知管内でも有数の炭鉱都市を形成するまでになります。

その後も人口増加は進み、戦後の1948年(昭和23年)に最多の4万6千人を記録、1958年(昭和33年)には市制施行し歌志内市となりました。

しかし、昭和40年代に入ると石油など安価なエネルギーへの転換により炭鉱は相次いで閉山。それに伴い人口減少も加速し、1981年(昭和56年)には1万人を下回りました。

石炭の積み出しのために開業した歌志内線も客貨ともに輸送量が減少し、1988年(昭和63年)に廃線。

1995年(平成7年)に最後の空知炭鉱が閉山し、ついに105年に亘る歌志内の炭鉱の歴史に幕が下ろされたのです。

上砂川・歌志内はドライブルートとしてもおすすめ!

■歌志内市内の道道114号沿いにある道の駅うたしない

上砂川町から歌志内市を通り赤平市に抜ける道道114号「赤平奈井江線」は、中空知エリアの魅力がたくさん詰まったドライブルートとしておすすめ!

「かみすながわ炭鉱館」は炭鉱の歴史を学べる資料館。すぐ近くには「旧三井砂川炭鉱中央立坑櫓」など炭鉱遺跡も残っています。

倉本聰脚本のテレビドラマ『昨日、悲別で』のロケ地となった「旧上砂川駅駅舎(悲別駅)」や「悲別ロマン座」はファン必見ですね。

雲海のシーズンはもちろん、中空知を一望する絶景に出会える「かもい岳山頂展望台」は車で山頂まで行くことができるので、ぜひ立ち寄ってみて。