小樽駅前には「小樽都通り商店街」という300mのアーケードがあります。アーケードに入るとまず視界に飛び込んでくるのが、榎本武揚(えのもと たけあき)の肖像画を描いた大きな垂れ幕。後にご紹介する榎本武揚は小樽の開拓に欠かせない人物です。

同商店街では、生みの親とされる榎本武揚をイラスト化し、北海道弁(小樽弁)をユニークに表現した看板が多くあります。「歴史はちょっと苦手…」そんな方も分かりやすいように、北海道弁を交えて榎本武揚の功績をご紹介します。

小樽の歴史を語るには欠かせない!榎本武揚とはどんな人物?

小樽の開拓に深い関わりをもつ榎本武揚


まずは現在の場所に商店街が誕生することになったきっかけからお話しますね。
榎本武揚は1868年(明治元年)~1869年(明治2年)に函館戦争で旧幕府軍総大将として戦いますが敗戦。投獄されました。

1872年(明治5年)釈放された後、豊富な知識と国際感覚、獄中でも続けた研究や発明により、新政府に招かれ北海道開発庁開拓使として官職につきます。
同年、榎本武揚の同僚である開拓使の北垣国道(きたがき くにみち)後の北海道庁長官と小樽を訪れます。

「小樽は天然の良港に恵まれた海路や、文化の拠点都市になる!」と確信し、未開拓の土地であった小樽市稲穂(現在の小樽駅周辺)20万坪を購入し、土地の管理会社「北辰社」設立しました。榎本武揚と北垣国道の関係性の良さを表す方言がこちら。

  • ゲレッパ

最後、最下位、ビリの意味です。ゲレッパ、もしくは言いやすさからゲッパと言うことが多いです。この方言はよく運動会のかけっこで聞き「運動会ではいっつもゲッパだったなぁ~」なんて使い方も!

手宮~札幌を結ぶ線路を開通させた人物


「旧手宮線」とは国内で3番目の鉄道として開通しました。今も線路や踏切が保存されており、小樽の観光スポットのひとつです。当時、北海道では最も重要な資源「石炭」を幌内(三笠市)からどのようにして本州へ運ぶか?その運搬のための鉄道をどこに引くべきか?太平洋側か日本海側どちらから積み出すか?選択に迫られました。

榎本武揚は日本海側・小樽へと運ぶルートを推奨し、決定しました。こうして1880年(明治13年)に北海道で初、手宮と札幌(後に三笠まで延長)を結ぶ線路が完成。その時の労働者への感謝の気持ちを込めた方言はこちら。

  • けっぱる

ただ頑張るというよりは精一杯頑張るなど強い意味が込められています。語源は「気張る」からきており、運動会で応援するときに使う地方もあります。

  • ナンモ、ナンモ

どういたしまして、いいから気にしないでという意味。明るい笑顔で「なんも、なんも!」と言われると、心が温かくなる気持ちのいい言葉ですね。

小樽都通り商店街ができるまで

1903年(明治36年)小樽駅の誕生に伴い、榎本武揚が設立した北辰社は1904年(明治37年)から大規模な開墾を行いました。現在の街並みの基礎を作り、駅周辺にはどんどん店が建ち始めたのです。

1966年(昭和41年)北海道内では狸小路に続く2番目のアーケード「小樽都通り商店街」が完成。小樽の冬は雪が多いのでアーケードはとても丈夫な造りです。小樽の冬の寒さが苦手だったのでしょうか?榎本武揚は方言でこう表現しています。

  • スッパネ

雨の日に走ったり雪解けの道を歩くと飛び散る泥水や水滴のこと。
「スッパネあがるから気をつけなさい」

榎本武揚は子供好き?


榎本武揚が開拓した土地である稲穂に、1895年(明治28年)稲穂尋常高等小学校(現在の稲穂小学校)が開校しました。校章には中央に大きな錨(いかり)のマークが描かれています。小樽のシンボルでもある錨が採用され、その時の嬉しさを表現した方言がこちら。

  • チャンコイ

小さいを意味し、主に赤ちゃんや子供、小動物に対して使われることが多いです。

  • めんこい

小さい子供や動物を目にした時、年上の人から年下の人にむかって愛情を込めた表現として使われています。
めんこい繋がりで次の方言もご紹介。

めんこい(かわいい)ナップランド!?


「ナップランド」とはご存知でしょうか?
小樽発祥の通学カバンで、一般的な皮ランドセルのことです。小樽は坂と雪が多くランドセルを背負って通学するのは大変…そこでナップランドが考案されたのです。ナイロン製で軽く、防水効果があるので子供達でも使いやすいです。

樺太・千島交換条約の締結

小樽の開拓に欠かせない存在の榎本武揚ですが、かつてオランダに留学経験もあり「海軍の技術や法学」について学びました。その経験から1874年(明治7年)にロシア駐在公使に任命。1875年(明治8年)ロシアに特命全権公使として派遣され、ロシアと樺太・千島交換条約を結びました。その時のたくましさを表現する方言はこちら。

  • へっちゃら

たやすく容易にできるさま
「このくらいの寒さはへっちゃらさ!」

今も残る榎本武揚の足跡


1876年(明治9年)自身が開拓した土地に遠祖「桓武天皇」を祀り、龍宮神社を建立しました。「新天地に夢を抱き、北海道を訪れる移民の心の拠り所を作ろう」という意味も込められ、境内には今も榎本武揚の記念銅像が建立されています。

龍宮神社のお祭りの際、露店が並ぶ「梁川通り(やながわ)」という名の通りがあります。梁川通りという名前は、榎本武揚の雅号である梁川(りょうせん)に由来しているそうです。ちなみに一本隣には「静屋通り(しずや)」があり、榎本武揚と共に小樽を開拓した北垣国道の雅号、静屋(せいおく)に由来しているそうです。

榎本武揚の功績と方言はいかがでしたか?ご紹介した以外にも、方言の看板がアーケード内に点々とあります。探しながら都通り散策するのも楽しいですよ。